不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

亀田一家とチンピラの誕生

 先頃行われた世界戦以来、亀田一家が度々メディアに
登場しているのを見て、私は気が付いたことがある。
 それは、亀田一家のあのファッションセンスは、誰か
に強制されているのではなく、自分達が好んで取り入れ
ているらしい、ということにである。
 私は、あのようなチンピラ風の服装は、誰かに押し付
けられている、と長いこと思っていたのである。
 会社勤めの人ならスーツにネクタイ、というような形
式があるように、はぐれ者にはこの格好、というものが
あるように、である。
 私は、彼らは一種の様式美に仕方なく従っていると思
っていたのだ。
 
 だが、どうやらそれは間違いのようだ。
 彼らは、好きであのような装いをしているらしい。
 彼らの目から見ると、あのような服飾センスは最高に
格好が良い、ということになるらしい。

 となると、世間にいるチンピラ達も、俺達のセンスは
なかなかのものだ、と自負しているのだろうか。

 よく時代劇で、悪役の町のごろつきが派手な色と柄の
格好をしているのと同様に、現代でもチンピラは世間か
らずれたけばけばしい服装を好んでいるようである。

 どうして、そういうことになるのだろうか。
 人間として道を外れてくると、服装のセンスも外れて
くるのであろうか。

 世の中には、チンピラ風の服装を好みながら実は堅気
である、という人も中にはいるかもしれないが、大方は
見た目どおりの人生行路を歩んでいるようだ。

 亀田一家が、自分達はチンピラだ、と自覚しているか
どうかは分からない。
 だが、あのような格好を普段からしているところを見
ると、ひょっとするとチンピラの自覚があるのかもしれ
ない。

 チンピラは宣言して、なるものではない。
 世間が決めるものである。
 亀田一家はチンピラか?との問いに、世間のどれだけ
の人がチンピラと認定するだろうか。
 公に対する発言は、その人に対する世間の評価を決定
付けてしまうことを、亀田一家は知っているのだろうか。
 今後の一家の動向に多くの人が注目している。
 ひょっとすると、私達は、今後正式にチンピラの誕生
を目撃することになるのかもしれない。