不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ゴミを拾う3人組

 朝7時、新聞を読んでいると、家の前の通りをどなた
かが話しながら行くのに気が付いた。
 日曜のこの時間としては珍しい。
 見るとそれは、60代後半位の男性一人と同じくらい
の歳の女性二人だった。
 その3人は市の指定ゴミ袋を持ち、道に落ちているゴ
ミを拾って歩いているのだった。
 様子からすると、どうも町内の人ではなさそうである。
 これを見て、ほほー偉い人達がいるものだ、と感心し
ていれば良いのかもしれないが、私はそんなに直線的な
判断は出来ない人間である。
 何故、日曜日のこの時間にゴミを拾っているのだろう
か?
 それに、そもそもこの通りにはゴミらしいゴミは殆ど
落ちていないのに、わざわざどうしてなのだろう?
 ゴミが皆無というわけでもない。
 肺癌候補者の不心得者が捨てた吸殻が時々落ちてはい
るが、街中ではないので目立つほどの数はない。
 コンビニで買ったと思われる食べ物のゴミが時々風に
舞ってきていることもあるが、それもたまのことである。
 その程度の通りをわざわざゴミを拾って歩くとはどう
いうことなのだろう。
 3人組でしかも日曜日の朝である。

 はは~ん。これは、宗教がらみだな。
 こういう目に付く社会活動は宗教団体が好んでするこ
とである。
 陰徳を積む、とか言って社会奉仕を薦めるのである。

 ゴミを拾ってもらえるのは、ありがたいことなので、
止める理由は何もない。
 だが、その人達が自分達の信仰を他の人にじわじわと
押し付けてくるその手法には要注意が必要だと思う。

 その3人が持っている市指定のゴミ袋は赤のビニール
なので、目立つ。
 ゴミを拾うのなら、レジ袋にでも入れて後でまとめれ
ば良いのに、ひとり一袋持っているのである。そんなに
沢山ゴミは落ちてはいない。
 そんなことは、100m先から見ても分かることだ。
 何ともわざとらしいのである。
 目立つ奉仕は偽善と呼ばれがちであることを、彼らは
知らないのであろうか?
 それとも、そんなことに気が回らないほどに脳を洗わ
れているのだろうか?
 
 彼らが一体何者なのか。
 また次回お目にかかったら、もう少し注視してみよう
と思う。

 何もなさそうな日曜日の朝にも、いろいろのことが起
きているようである。