不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

チェルシーの空き箱が家の前に捨てられていた

 出かけようとした時である。
 家の前の道に黒いものが落ちているのが見える。
 缶コーヒーの空き缶か、と思って近づいてみる。
 それは、空き缶ではなく明治製菓のチェルシーの空き
箱だった。
 自分の家の前にゴミが捨てられていると、不愉快なも
のである。たとえ家の中がゴミ箱同然であったとしても、
である。
 これが、他所様の家の前だったらそんなに気にもなら
ないのだから私も勝手なものである。
 チェルシーの箱をこんな所に捨てるとは、いったいど
ういう人物なのだろう。最近ではカラスも知恵がついて
きているので犯人はカラス!ということもあり得ないこ
ともないが、微妙に箱が捻ってあるので、これは人間の
仕業と断定しても良かろう。
 さて、何故チェルシーなのか。森永キャラメルでは駄
目なのか?犯人は多少なりともキャラメル・キャンデイ
にこだわりがある者と思われる。
 それにしても、路上にチェルシーの空き箱を捨てると
いうことは、チェルシーを持ち歩いていなければならな
い。
 車の窓から放った、ということも考えられるが、この
暑さの中では社内に溶けやすいお菓子類を置いておくと
は考えられない。従って、捨てたのは歩行者である、と
推定される。
 私の家の前は、朝夕に人の行き来が多少有るので、そ
のなかのうちのひとりなのではないか。
 それにしても、チェルシーである。
 男がチェルシーを食べるだろうか?食べないとは言い
切れないが、おそらく女性なのではなかろうか。
 チェルシーを日頃持ち歩き、中身が無くなったので箱
を道に捨てる。
 歩きながらキャラメルなどを食べることまでガミガミ
言うつもりは無いが、箱ぐらい自分で始末して欲しい。

 などと偉そうに言ってはみたもの、自分も喫煙をして
いた頃は、何度も路上に吸殻のポイ捨てをしたものであ
る。
 すみませんでした。

 あぁ、自分の過去の因果がここに巡ってきたのか。
 何かと人は反省させられる機会を与えられるものであ
る。

 ところで、私はチェルシーはずっとキャラメルだと思
っていたのだが、単なるキャラメルではなくキャンディ
ーである、ということを初めて知った。
 硬いキャラメルだと思っていたが、違うらしい。
 それにしても、中途半端なお菓子ではなかろうか。
 それとも、それこそ個性なのか。
 お菓子の世界も奥が深いものだ。