不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

セミとその鳴きの姿勢

 自転車をゆっくり走らせていると、セミの鳴き声がすぐ
近くで聞こえる。
 鳴き声の方向を見てみる。
 そのセミは、電信柱で鳴いていた。
 電信柱はコンクリート製である。セミといえば樹にとま
って鳴くものだ、という思い込みがあるが、彼らは実はあ
まり場所にはこだわりがないのだろうか。
 樹にとまり、ひとしきり鳴いては樹液を吸い、そいて再
び鳴き始める、という暮らしぶりかと思えばそうでもない
のだろうか。
 とりあえず地面から垂直に伸びているものであれば、ど
こでも良い、という融通の利いた生き方を選択をしている
のかもしれない。
 それでも、斜めになった場所や地面と水平の状態ではち
ょっと鳴きづらいので地面からは水平、という1点だけは
頑なに守り続けていると思われる。
 だが、垂直の状態で鳴くことの方が重力に対して体を支
えていなければならないので、そちらの方が体力を使うの
では?と心配になるが、セミにはセミの鳴きのフォームと
いうものがあるのかもしれない。
 樹なら何とか樹皮の凹凸につかまることも容易だろうが、
電信柱はコンクリート製である。つかまりにくいように見
えるのだが、セミは悠々コンクリートの柱につかまってい
る。あんな細い脚で大したものである。余程あの脚はフッ
クが効くらしい。

 私だったらもっと楽な姿勢で鳴くところだが、セミは自
分の美学を貫いている。
 常に垂直に鳴く。
 これが、セミの生きる美学なのであろう。
 斜めや水平といった楽なポジションは決してとらない。
 鳴きのためには万難を排すのだ。

 長年地中で沈黙強いられてきた彼らには、絶対に譲れな
いものがあるに違いないのだ。
 その一つが、あの泣きの姿勢なのではなかろうか。
 
 同じ姿勢と同じ鳴き声で夏を知らせるセミは、夏に訪れ
る賑やかな頑固者である。