不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

認知症は過去に生きることにより発症し悪化していく。

 いつもの集いに行った。

 この集いの高齢者には認知症が多い。

 認知症の種類や程度は様々である。

 私は彼らを観察している。

 その中で導き出したことがある。

認知症になる人は、過去に生きる人たちである」

彼らは、日常的に過去の思い出に浸っている。

それが楽しいのか快感なのか、彼らの脳の中は自分の過去の経験が繰り返されている。

 この行為により、魂の力が著しく弱まり、脳が破壊されていく。

 そして、認知症となる。

 「回想療法というものがあるぞ」という声が、あるかもしれない。

 だが、それは逆効果である。

 過去は幻想である。

 幻想に塗れて時間を過ごすことは、自分が本来持っている力を奪っていく。

 こうして奪われた力は二度と戻ってこない。

 そして退化が始まってしまう。

 このことに現代医学が気がつくまでに、どのくらいの時間がかかるのだろうか?

 

 

 

 

高齢者との交流を通じて得る楽しさ

  町内の催しに行った。

 これは月一回行われているもので、2月と8月はお休みとなっている。

 参加者は高齢者で、私とリーダーのM君とサポートの女性二名からすると、親子、もしくはそれ以上の年齢差がある。

 私としては、この催しに参加することにより、高齢者の理解を促進する狙いがある。

 私は、他者のことをわかっているようで、わかっていないからだ(苦笑)

 また町内の大先輩方と接することにより、いろいろと刺激も受ける。

 極めて緩い感じで楽しい時間である。

 出席者は、この催しに出てこられるだけの体力、気力があり、活気がある。

 積極的にコミュニケーションを取っていこうとする前向きな気持がある。

 これは、意外と得難い姿勢ではなかろうか?

催しはM君が企画している。

高齢者が楽しくできる内容にするために、様々な施策を参考して組み立てている。

 さすが、秀才のM君である。

 今回は楽にできる体操の指導だった。

 体操指導のインストラクターの指導のDVDがスクリーンに映し出される。

 それに習って皆で体操をしていく。

 ごく簡単なことであるが、なかなか難しい。

 それが面白い。

 和やかな雰囲気の中、催しはお開きとなった。

 また来月も出席できると良いな、と思いながら会場をあとにした。

 

 

 

 

イスラエルは再び流浪の民に。

 「イスラエル国は連合国軍に包囲され、イスラエル人は国を追い出され再び流浪の民となる」

 これは、当ブログの予見である。

 まぁ、こんなことを言っているのは、おそらく世界中でも、ここだけだろう。

 だが、これは現実となる。

 イスラエル人は、国を失う。

 直近のイラクによるイスラエルへの攻撃は、その端緒になる。

 今回の攻撃により、イスラエルの防空網が大したことがないということが世界に知られてしまった。

 「米国とイスラエルが構築したものだから鉄壁だろう」という推測は崩れ去った。

 ここから少しずつ、イスラエルは追い詰められていく。

 後年「そう言えば、あの時から情勢が変わったよなぁ」というのが今である。

 イスラエルは、いろいろとやり過ぎてしまった。

 この民族は、古代からそういう傾向がある。

 「程々でとどめておく」ということができない民族である。

 譲り合いの美徳を知らない民族である。

 彼らは、これまでに振り下ろしてきた斧の報いを、今後受けていくことになる。