不二家憩希のブログ

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ピーター・フォーク氏ご逝去に寄せて その⑮

 1956年、ピーター・フォークは、俳優人生を踏
み出すためニューヨーク・グリニッジヴィレッジに
引っ越した。
 この時、フォークはすでに29歳だった。
 これは、俳優を始めるにはかなり遅い年齢と
いえる。
 しかも、時は1950年代半ばである。
 当時は人の寿命も短く人口構成などが今とは
大きく異なっており、現代の29歳とは大きく違う。
 フォークの場合、大学を休んだり、移ったり、商
船にコックとして乗ったり、役所務めをしたりとい
ろいろやってきているので、結果としてこんな年
齢になったのだった。
 フォークの俳優としての初仕事・初舞台は、ニュ
ーヨークのオフ・ブロードウェイ4丁目劇場で演目は
モリエール作の”ドンファン”だった。
 だが、この芝居は1956年1月3日にたった1日だ
け行われて、すぐに取りやめになってしまった。
 ブロードウェイはとても厳しく、評判や客の入りが
悪いと、バッサリ興行中止になる。
 フォークはプロ初舞台にして、いきなりその洗礼を
受けたのだった。
 それでも、フォークにはすぐに次の役が決まった。
 捨てる神あれば拾う神あり、拾う神が観に来ていた
のかもしれない。
 同年5月、ユージン・オニール作の超大作”氷屋来る”
の再演に起用された。
 酒場を舞台とした劇で、フォークはバーテンダー
役だった。
 フォークは、ブロードウェイでも演じている。
 これも1956年、アレキサンダー・オストロヴスキー作
”悪党日記”、ジョージ・バーナード・ショー作の”聖
女ジョウン”に出演している。
 年はいっているが駆け出しの俳優にしては、これは
見事な経歴といえる。
 だがフォークの舞台は、そのキャリアの中でも僅かでし
かない。
 それは、その評判を聞きつけて映画やテレビドラマ
から声がかかるようになったからである。
 
 ~続く~