不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ピーター・フォーク氏ご逝去に寄せて その⑪

 ピーター・フォークは、大学を休学して商船に
コックとウェイターとして1年半乗っていたが、
船を降りたらと次に何をしようかと考えた。
イスラエルに行ってエジプトと戦おうと思って
志願書に署名もしたんだよ。(これは第一次中
東戦争のことである)私は、単にもっとエキサイ
トすることをしたかったんだ。だけどその戦争は、
皆がビックリするほどあっと言う間に終わってしま
ったんだよ」
 う~ん、エキサイトするために戦争に行こうとし
たのか。
 しかも、自国の戦争ではなく、よその国の戦争
である。
 フォークはユダヤ系なので、イスラエルへは思
い入れもあるかもしれないし、まるっきりよその国
ということでもないのかもしれないが、立場は外
人部隊への参加ということになる。
 そこまでして、戦争に行こうとしていたとは、驚き
である。
 フォークは、行動的であるのか、血の気が多い
のか、それとも正義感からなのか。
 ”コロンボ”の印象からすると意外な気もするが、
これもフォークの重要な一面だと言えよう。
 船を降りるとフォークは大学に戻った。
 そして、さらに他の大学にも通い始めた。
 だが、そこもやめて違う大学に転入した。
 それから、またそこも休学しヨーロッパへ旅に出た。
 フォークはその間ユーゴスラビアの鉄道で6ヶ月
働いている。
 言葉の問題は無かったのだろうか。
 英語が話せれば何とかなったのだろうか?
 その後、米国に戻り復学したが、そこからまたも
止めて違う大学へ入った。
 フォークは、そこで会計学を学び会計士の資格を
取り政府の予算局に勤めることになった。
 それにしても、よくこんなに大学に入っては休学、
転入を繰り返すことができたものである。
 フォークは後年「高校卒業後、私は自分が何をやり
いのかわからなかった」と語っている。
 迷える青春である。
 
 ~続く~