ピーター・フォークは、大学を休学して商船に
コックとウェイターとして1年半乗っていたが、
船を降りたらと次に何をしようかと考えた。
「イスラエルに行ってエジプトと戦おうと思って
志願書に署名もしたんだよ。(これは第一次中
東戦争のことである)私は、単にもっとエキサイ
トすることをしたかったんだ。だけどその戦争は、
皆がビックリするほどあっと言う間に終わってしま
ったんだよ」
う~ん、エキサイトするために戦争に行こうとし
たのか。
しかも、自国の戦争ではなく、よその国の戦争
である。
い入れもあるかもしれないし、まるっきりよその国
ということでもないのかもしれないが、立場は外
人部隊への参加ということになる。
そこまでして、戦争に行こうとしていたとは、驚き
である。
フォークは、行動的であるのか、血の気が多い
のか、それとも正義感からなのか。
”コロンボ”の印象からすると意外な気もするが、
これもフォークの重要な一面だと言えよう。
船を降りるとフォークは大学に戻った。
そして、さらに他の大学にも通い始めた。
だが、そこもやめて違う大学に転入した。
それから、またそこも休学しヨーロッパへ旅に出た。
フォークはその間ユーゴスラビアの鉄道で6ヶ月
働いている。
言葉の問題は無かったのだろうか。
英語が話せれば何とかなったのだろうか?
その後、米国に戻り復学したが、そこからまたも
止めて違う大学へ入った。
フォークは、そこで会計学を学び会計士の資格を
取り政府の予算局に勤めることになった。
それにしても、よくこんなに大学に入っては休学、
転入を繰り返すことができたものである。
フォークは後年「高校卒業後、私は自分が何をやり
たいのかわからなかった」と語っている。
迷える青春である。
~続く~