不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

エアコンも扇風機も使わない生活

 昨日は当地も猛暑で、市役所に設置されている百葉箱が
最高気温37℃を記録した。
 これは、百葉箱の中の温度計なので科学的公正さは確保
されているのだが、実際の市街地の温度は40℃に達して
いたと思われる。
 以前、今年くらい暑い年の暑い日に温度計を外に持ち出
して気温を計ってみたら、赤いアルコールがすぐに40℃
まで上がり、それを見ていたら余計に暑さを感じたことが
ある。
 
 そんな暑いこの2~3日ではあるが、実は私の家では冷
房を使っていない。エアコンは3台(1台は故障中)ある
のだが動かしていない。
 それでは、扇風機は使っているだろう、と思われるかも
知れないが、扇風機も使っていない。扇風機は2台あるの
だが、物置で眠っている。
 室温は、最高で34℃まで上がるのだが、何にもしてい
ない。
 これは私の生活方針の一つなのである。
 気温が高いくらいで機械に頼りたくないのである。

 現代日本でエアコンが普及しだしたのは、70年代の末
頃からで、それ以前の日本では皆、扇風機を使っていた。
 その扇風機の普及も戦後になってからである。
 つまり、戦前やそれ以前の大正、明治時代には扇風機も
無かったのである。

 私は、そういう古い時代の人達が冷房なしで暮らしてこ
れたのだから、今の私にも出来ないはずはない、と思って
いるのである。
 
 業務上で冷房があった方が効率が上がる、というのであ
れば、冷房を否定するつもりはないが、プライベートにま
で冷房や扇風機は必要なのか、というと私はいらない、と
思っている。
 
 私は、人間の肉体は甘やかせば弱っていってしまう、と
考えているということもある。
 
 自分の都合に合わせて、伝統と言う言葉を持ち出して人
を説得しようとするお調子者が世間には沢山いるが、彼ら
の殆どには伝統と言う言葉を使用する資格は無いと思う。
 伝統を語るのなら、気温が高いくらいで機械に頼って欲
しくない。
 彼らが語れる伝統は、せいぜい戦後以降である。
 機械に飼いならされた肉体には、それが限界である。
 
 それに、古の人に思いをはせるのなら、冷房や扇風機を
使っていては無粋ではないだろうか、と思うのだ。
 
 夕方からの冷たい風は、自然の呼吸を直に感じさせてく
れる。 
 猛暑と言っても、暑いだけではない。