不二家憩希のブログ

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P・フォーク~コロンボ警部を生み出す。その⑮

 ”コロンボ警部”が初登場したのは、1960年放送
のテレビドラマ”Enough Rope"だった。
 この放送は当時としては画期的なカラーの生放
送だった。
 当時は録画テープなどが極めて高価だったこと
もあり、生放送のドラマは普通に行われていた。
 撮り直しができない一発勝負である。
 俳優、スタッフとも大変な緊張感の中で番組を進
行させていくことになる。
 (しくじれば、全米に恥をさらすことになる)
 そう思うと、より力が入ってしまう。
 しかし、そこは生放送である。
 視聴者に強いインパクトが与えられれば「伝説の
放送」として記憶に残る。
 生放送で二度と見られない、という事実が記憶を
より鮮明なまま保たせる。
 そして後世に語り継がれる番組になっていく。
 だが、その逆はどうだろうか。
 話題にならなければ、そのまま消えていく、という
ことでもある。
 放送を見ても記憶に留まることなく、忘れ去られて
いってしまう。
 そうした番組の方が、むしろ多かったと思われる。
 ”Enough Rope"は、そんな番組の一つだった。
 後年、”刑事コロンボ”が世界中で人気になった後
ことである。
 レヴィンソンがコロンボ警部を演じたバート・フリード
に会う機会があった。
 ”Enough Rope"を憶えているか?とレヴィンソンは
尋ねた。
「それが憶えていないんですよ」
 フリードにとっては、コロンボ警部は彼が演じてきた
沢山の役の一つであり、番組自体が話題にならなけ
れば、そのまま忘れてしまうような存在だったのである。
 ドラマの内容自体は、2年後に戯曲化され大好評を
得た”殺人処方箋”と殆ど同じである。
 つまり、フリードのコロンボ警部では、視聴者の心を
掴めなかったということである。
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 ”Enough Rope"の一場面。
 本放送はカラーだったが、それを記録したのが白黒だっ
たため、白黒の映像となる。
 左が主役で犯人のフレミング医師、右がコロンボ警部。
 普通の中年の刑事という感じである。
 
 ~続く~