今日は、いつもの教派神道の教会で、年間最大規模の祭事の日である。
「是非、ご参加下さい」との言葉を教会長先生から頂いていたので、遠慮なく出席させてもらうことにした。
いつもの日曜日は、キリスト教の教会、大きな祭事の日には、教派神道の教会、教会の掛け持ちである。
「そんなこと、けしからん!」と仰る方もおられることだろう。
だが、そういう声は、聞こえなかったことにする。
いずれの教会も、同じ力がこの世に反映した現象である。
両者が異る、というのは、肉体と自分を同一視している人の見方でしかない。
私は、自転車で家を出る。
この日は、朝から快晴である。
当地迷物の大風も吹いておらず、最高の秋晴れである。
途中ドラッグストアといつものスーパーに寄り、食料品を購入する。
店により、得意とする商品カテゴリーが異るので、購入品によりお店を変えている。
そして、教派神道の教会に着いた。
既に多くの信者さんが集まり、着席しておられる。
教会には、折りたたみではないパイプ椅子が並べられている。
今日は、この祭事のために普段の3倍ほどの量である。
私は、適当に空いた席を探して、座ろうとした。
すると、教会長先生が近づいてこられた。
「フジヤさんの席は、こちらです」
先生は、席を指し示した。
椅子の背もたれに、私の名前が書かれた小さな短冊が貼ってある。
この日のために印字、作成されたものであろう。
おぉ、なんという心遣いだ。
万事きめ細かく準備し、祭事当日を迎える、というのが、この教会のカラーである。
テキトーを旨とする私とは大違いである。
私は、席に着席する。
すると教会長先生の奥様が私の席に来られた。
この日の行事のしおりを私に手渡して頂いた。
いつもと同じく丁寧な物腰である。
そして行事開始時刻となった。
司会者が祭事開催を告げ、行事が始まった。
行事は、滞りなく進んでいった。
気になったのは、来賓である関係教会の先生の講話内容が、いつもと違ってネガティブな色合いだったことである。
いつにない体調不良が発生したばかりであり、それが講話内容に反映されていた。
その先生の体調不良が一刻も早く癒やされることを、強く祈念した。
行事は、無事終了した。
会場退出時に、この集いのお土産を頂いた。
私は、このお土産が毎回楽しみなのである。
あぁ、いい歳をして、まるで子どものようである(笑)
教会を出て、大急ぎで自転車を走らせ、キリスト教の教会に向かった。
同時刻開催で、すでに行事は終了していた。
顔だけ出しておく、ということである。
眉をひそめる方もおられるだろうが、それは無視する。
これが私の生き方だからである。