不二家憩希のブログ

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チャーリー・ヘイデン氏、ご逝去。その②

 チャーリー・ヘイデンは、音楽一家に育った。
 音楽一家といっても、アマチュアではない。
 1930年代から40年代には、ヘイデン・ファミリーを
主役としたラジオ番組を持っていた。
 そこで、ちびっこ歌手として人気者だった。
 その他、テレビ番組「オザーク記念祭」では、カント
リー音楽を演奏するハウスバンドのベーシストとして
活躍した。
 ヘイデンは、元々はカントリー・ミュージックのベー
シストだった。
 家業がカントリー・ミュージックであれば、そうなって
当然の流れである。
 そんなヘイデンに転機が訪れたのは、チャーリー・
パーカーのライブを観た夜だった。
 その夜からヘイデンはジャズに夢中になって行った。
 持病のポリオのために歌手活動は止めた。
 今度はジャズ・ベーシストになろうと思い立った。
 ヘイデンは、すぐにロスアンゼルスに移り住んだ。
 ロスアンゼルスでは、すぐに俊英ミュージシャンたち
と懇意となった。
らである。
 ヘイデンは、ジャンルが違うとはいえプロのベーシス
トとしてキャリアがあったので、ジャズの・ミュージシャン
のコミュニティにすぐに打ち解けることが出来たのであろ
う。
 それに何より、ラジオやテレビで「カウボーイ・チャーリ
ー」として知られていたことは大きかっただろう。
 「あぁ、君は『カントリー・チャーリー』だね」と言われたに
違いない。
 10代にしてペッパーやホーズ等と知り合いになったの
だから、見事である。
 10代の間、ヘイデンはこれらの「普通」のトップ・ミュージ
シャンらと活動していた。
 そして1959年にジャズ・ミュージシャンとしてレコード・デ
ビューすることとなった。
 ヘイデンは、ある特異なミュージシャンのサイドマンとし
て活動を始めたのだ。
 そのミュージシャンとは、オーネット・コールマンである。
 フリー・ジャズの原点となったバンドの一員として、ヘイデ
ンは瞬く間に有名ジャズ・ミュージシャンとなった。
 ペッパー、ホーズらとオーネット・コールマンとでは、音楽
的に開きが大きすぎるだろうと思えるが、そのあたりはヘ
イデンは簡単に埋めてしまったようだ。
 ヘイデンは極めて器用で柔軟性のあるミュージシャンだ
ったのだ。
 あぁ、ヘイデン追悼の記事にしようと思っていたら、経歴
追跡記事になってしまった。
 このあとを記していくと、また長くなりそうである。
 ヘイデンについては、また折りを見て記していこうと思っ
ている。
 現役ジャズベーシストの最高峰の一人がいなくなって、
実に寂しい。
 私にとって最高のベーシストであり、バンドリーダーだった。
 残念ではあるが仕方がない。
 ジャズミュージシャンとしては長命な76歳までの生涯に
残された多くの音源により忍ぶことにしよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ジェリ・サザーンとの編集による共演。
 2:00過ぎからジェリ・サザーンの歌声が入ってく
る瞬間が実に素晴らしい。
 何度聴いても、魅了されてしまう。