人はドラマチックなことが大好きである。
小説などの文芸作品、映画、テレビドラマなどに強いドラマ性を求める。
スポーツ競技の展開にもドラマ性を欲しがる。
スポーツは、勝ち負けが基本の非情なシステムであり、そうそうドラマチッ
クな展開にはなるものではない。
そもそも選手たちは試合にドラマ性をもたらそうと懸命になっているわけで
はない。
試合だけではなく、選手のライフヒストリーや人間関係にもドラマ性を望む。
幼い頃から親子鷹で鍛えられてきた選手が一流となり大活躍をする。
ライバル選手との競い合いに熱中する。
「野球は筋書きがないドラマだ」という言葉が一般化している。
こうしたドラマ性を求める人間の心情は、どういったものなのだろうか?
ただあるがままに物事が進行していくだけでは満足できないのか?
「自然に」
「ナチュラルに」
「あるがままに」
こうした志向がある一方で、強いドラマ性志向も根強い。
どうしてだろう?
理由の一つとして「人は現実に退屈している」ということが挙げられるだろう。
退屈なために、あらゆる面でドラマを観たがっているのではないか?