私は度々行っていた教派神道の教会参拝を止めた。
もう二度と行かないであろう。
それなりに有意義な時間が過ごせたと思っていたが、それも勘違いのようだっ
た。
う~ん、私もまだまだ甘いなぁ。
私はその教派神道の信者ではないが参拝をしていた。
だが、その教派神道と私の考えと相容れない部分がどうしてもあった。
教会の先生とも話をした。
だが、溝は埋まらない。
お互い譲れないのだ。
そのあたりを見て見ぬ振りをしていることもできただろうが、やはりそれは
できない。
細く浅い溝かと思われたが、思いの外広く深い溝だった。
自らのセンスを偽ることはできないのだ。